考 現 学

〜目的なくただ気づいたことを書き続けるという営み〜 「誰もが簡単に書くことができる時代」だからこそ「書くことが開く可能性」を

伝えたいから伝え方を、教えたいから教え方を

日本にはさまざまな問題があります。

たとえば自然農をやっていても、
種の問題とか、農薬の問題、食品添加物の問題、
プラスチックゴミ問題、水道問題

いろいろな問題について誰かと話す機会も多いし、情報を目にすることも多い。

これらの問題とどう向き合っていくのかは、
自分自身がとても大切なことだと感じているし、
問題を多くの人に伝えていくこともとても大切なことだと感じている。

その中で、自分はどうやってこういった
それぞれの問題と向き合っていくことができるか。

自分なりにどうやってこの「問題」を人に伝えることができるか?

と自分自身に問うことが多いし、
その自問自答の中で、葛藤することはとても多い。

自分の葛藤の根底にあることは、

伝えたいことは簡単には伝わらない。
教えたいことは簡単には教えられない。ということなのだと感じる。

問題を人に伝えたり、教えたりすることはとても大切だと思う。と同時に、それと同じくらい伝え方も大切なことなのだと感じる。

問題解決への道は、人に問題意識が芽生えたその瞬間だと思う。
その問題意識は、その人の日常が変わることだと思う。
それはものすごく些細なことだけれど、その些細なことが問題を解決する、世界を変えることなのだということはいうまでもない。
何気ない人の何気ない日常の些細なことが変わる。その現実が生まれることが、何より大きな変化である。

ただ世の中には、誰もが「問題だ」と思うことでも、
他人事だったり、わかっているけど、、、、と思うことは山ほどある。

この「わかっちゃいるけど問題」こそ大きな問題なのだと思う。

僕はあらゆる問題に日頃触れる中で、
それぞれの問題に対する関心も生まれるけれど、
この「わかっちゃいるけど問題」こそ取り上げられる問題であるようにも思う。

人に伝わるとはどういうことなのか?
人に教えるとはどういうことなのか?
海外の人にはできるのに、なぜ日本人にはできないのか?
日本人の特性ってなんなのだろうか?
日本人のコミュニケーションってどういうものなのだろうか?
そもそもコミュニケーションってなんなのか?

そういったことをもっともっと突き詰めていくことは、
多くの「問題」を後押しするようにも感じている。

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自然農を自分のくらしの中に取り込んでいくことは、
僕なりの伝え方でもあると思っている。

自分が鎌ひとつで、こつこつこつこつ作業している姿や、
小さくても、形が悪くても、
自分で工夫して、自分で体を動かして、
自分の力を超えて、人の人智を超えて実ったものを美味しく食べる。

そして、それをひとりでなくご縁ある人と一緒に
楽しみながらただやるということ。

自分が自分の心惹かれているものに素直でいること、
その姿勢でいることで、誰かに、何かが、伝わるということもあると思っている。
だからこそ、自然農をやっているこということ自体が、
僕の伝えたいことを伝えている手段にもなっていると思っている。

それは言葉で何かを伝えているわけでもないし、
大きな声をあげて問題を提起している訳ではない。

だからこそ、誰にどのように、何が伝わっているのかわからない。
もしかしたら何も伝わっていないことだってあり得る。
それはわからないけれど、自分の姿が鏡のように、
関わってくれた、出会った誰かが
自分自身の姿を見つめ直して、自分自身に問う瞬間が生まれたら
これはとっても嬉しいことだと思っている。

そしてそれが、誰かの日常の些細なことが変わる瞬間に
つながったら。と思っている。


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田植えシーズンですね。