考 現 学

〜目的なくただ気づいたことを書き続けるという営み〜 「誰もが簡単に書くことができる時代」だからこそ「書くことが開く可能性」を

木下先生がケンジ流に描いてくださいました

木下先生と近所の大学生とはじめた読書会
第3回にわたって「宮沢賢治」を取り上げました。最終回は個人が学んだことを発表しました。

そのまとめを、木下先生がケンジ流に描いてくださいました。

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タローのハナシ

 タローは「農民芸術概論」から印象に残る言葉を紹介した。

「われらの前途は輝きながら嶮峻(けんしゅん)である」

ケンシュン???「山が高くてけわしいこと(さま)、場所」と辞書にある。

 タローは「耕さない」「持ち込まない」「草や虫を敵としない」という自然農の三原則を、自ら行なっている畑の写真などとともに見せてくれた。

 「エ! これがハタケ!!」と 荒れた土地みたいな風景に多くの人が驚くようなやりかた。たぶん周りから変な目でみられたりするにチガイナイ。

「自然農の畑では、どれだけ自然に応じられるか?ということが問われます。」とタローはしめくくる。草や虫もナカマとして考えるのは宮沢賢治のセカイ。

 でもいろいろ失敗も多いだろうし、収穫も多くないだろう。

 「まさにそれ、嶮峻(けんしゅん)。と同時に、その過程の一瞬一瞬がとても心満たされる時間だと感じます。」とタローはいう。あ、そうか、農業やりながら、草や虫と会話する、まさに宮沢賢治のセカイそのものだ。タローの「前途は輝きながら」をイサミは信じたくなった。

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